で?っていう備忘録

再開です。

『このあいだ東京でね』のこと

引用の続きを。


(ここから)
ひとまず、どこ出身、何年にデビュー、主な作品は[……]みたいな辞書的な情報は、
僕なんかよりwiki氏のほうがぜんぜん詳しいのでそっちを見て欲しいんですけど、
青木さんについて、いくつか書評・感想・批評を回った漁果を並べてみます。


「実験的」「前衛」「難解」「とっつきづらい」「読みづらい」「虚構」
「意味が分からない」「ふつうじゃない」「ずれてる」「過剰」「言葉の」
「純文学」「オモロない」「ピンチョンがあらわれた!」...etc.


僕も現実では会ったことないけど、
青木さん、
みんなに変なヤツだと思われてるみたいだよ!


じゃぁ、実際どこが「変(=難解、ずれてる、実験的)」なのか。
逆に言えば、「変じゃない」小説ってどんなのか。
せっかくなので今回は、在野からの販売促進運動も兼ねて、
青木さんの新刊『このあいだ東京でね』を読みますと、
一行目にいきなりこうあって、


「ある程度人生に見通しを立てた複数の人間が東京都内に新たな住居を探し求めていた。」


僕は読み返すたびに「ずらしてんな〜」と「スベらんなぁ〜」みたいに思う。
というのも、書き出しの一行目というのは人付き合いで言う挨拶みたいなもので、
「私はこういう世界観・設定の小説ですよっ」という、
読み手への(そして書き手への)一番初めの意志表示なのですね。


小説というのは基本的に見ず知らずの誰かに向って書かれるものなので、
初対面の第一声というのは、入学式、始業式終りの自己紹介と同じくらい、
緊張するし、不安だし、スベったら嫌だし、どうやって書こうかすごく迷う。
だからこそ、ベタ(=無難、ありきたり、紋切型)になりやすいし、
逆にちょっと工夫したり、奇抜なことをしたり、
ハッタリをかましたり、わざと無愛想に振る舞う人も出てくる。


そして青木さんは相当奇抜なことを(ぜったいわざと)している。


比較のためにも他の小説家たちがどうしているかをいくつか見てみると、


吾輩は猫である。」(吾輩は猫である夏目漱石

「メロスは激怒した。」(走れメロス:太宰治

「山椒魚は悲しんだ。」(山椒魚:井伏鱒二

「サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。 」(涼宮ハルヒの憂鬱谷川流

「アタシ/アキ/歳?/23/まぁ今年で24/彼氏?/まぁ/当たり前に/いる/てか/いない訳ないじゃん」(あたし彼女:kiki)

「寂しさは鳴る。」(蹴りたい背中綿矢りさ

「一緒に住んでいる男と別れようかどうしようか考えながら紅茶をのみ、紅茶をのみながらそのへんに散らかってる雑誌やTシャツやカップめんの容器を片づけていると、電話がなった。」(泳ぐのに、安全でも適切でもありません:江國香織

「永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。」(存在の耐えられない軽さ:ミラン・クンデラ


並べたなかでいちばんベタなのは夏目さんの書き出しで、普通に自己紹介から小説を始めている。
ちょっと工夫してるのは、太宰さんと井伏さん。
二人は自分以外の誰か(=三人称)について書くことから始めている。
谷川さんは他愛もない世間話のタネにもならないくらいのことを色々うだうだ言ってるけど、結局はサンタクロースなんて信じないよ俺はという持論をぶちまけるという形の自己紹介だ。
自己紹介の仕方でいちばん工夫しているのはkikiさんで、
てか/夏目さんの書き方とか/ありきたりだし/なんかかったるい/みたいに/思えてくる。


綿矢さんのは、自己紹介?ハッ。っていうスタンス。
やって来るなりいきなり身の上話を始めるから、
こちらとしてもとりあえず話を聴くしかない状況に追いやられてしまう江國さんは、話し上手だ。
クンデラさん。いきなり哲学者の話を始めるなんて!いったいこの人は何をいおうとしているのであろうか?


ここでちょっと気づいて欲しいのは、いま取り上げた小説の書き出しが、
ぜんぶ「〜は(が)…た(だ)。」という形で書かれていることです。
もちろん探せばいくらでも、「二十歳。」とか「国境のトンネルを抜けると雪国であった。」とか
「飛行機の音ではなかった。」とか、より工夫した書き方は見つかるだろうけど、
そういう小説でも、読み始めてから数行もしないうちに、
「〜は(が)…た(だ)。」という文章が出てくるはずです。


つまり何が言いたいかと言うと、みんな色々工夫したり、奇抜なことをしたり、
ハッタリをかましたり、わざと無愛想に振る舞ったりしているけれど、
型だけを取り出して見てみると、みんな同じような書き方をしているんじゃないか。ということです。(つづく)