で?っていう備忘録

再開です。

そろそろきみも扇風機をしまったほうがいい。

『ケータイ小説活字革命論』(伊藤寿朗)
新書だし、旬の話題の本だから、書き口もあえて軽く・薄く・安くしてある。
たぶんそれなりに刷数も多めに設定してあって、
「一気に売って、一気に読んでもらおう!」
という企画部の意志が伝わってきたけど、タイトルで誤解を生んでるんじゃないか。


書かれているのは空想的な革命論でもないし学術的なマーケティング術でもない。


「ケータイ小説」なる場や事件の誕生・成長に立ち会った当事者が、
世間の行き過ぎた期待や羨望に基づく誤解に対して、
さらっ、さらっ、と実情を話していく、というスタンスだから、

「ケータイ小説生成史」とかでもよかったんじゃないか。

で、内容を少し書くと、「ケータイ小説」とひと口に言っても、

・『deep love』(YOSHI)や『天使がくれたもの』(chaco)は
 自作のウェブサイトで公開されて、主にpcで読まれていた小説(初期)
・美嘉やメイやkikiは「野いちご」とか「魔法の図書館」っていう「場」にやってきて、たまたま巨大な共感を呼ぶ小説を書いた素人さん。ケータイ小説サイトの人たち(現在)
内藤みかは新潮さんとこの書き手さんでれっきとしたプロ(別の畑)


という「違い」があると著者は言う。
それぞれの「内容」の差異ではなくて、流通経路や、読者層の形成過程、作者の立ち位置、つまり「経済」の差異を強調してるんだろう。


それからこんなことも言ってる。

・ケータイ小説の「流行」に仕掛け人・中心的要因はない。
・「魔法のiらんど」は当初から学生が安心して交流できる「場」を提供するために作られ、広告ではなく、着メロ配信サイトとの連動で収益をあげていた。
・著者はプロの書き手になるつもりも有名になる意志もない、ふつうの女の子だ。


この本を読んだ限り、「ケータイ小説」の流行に戸惑っているのは、
当事者本人たち(出版社、編集者、著者)みたいだ。
著者も、「流行」の理由はよくわからない、と終始言っている。


                  ※※※


『知の臨界時計』(市川真人)と、その種本のひとつである『スモールワールド・ネットワーク』(ダンカン・ワッツ)を前に読んだんだけど、情報や物資の流通がネットのお陰で従来比からすると桁違いに速くなってるせいで、所謂「炎上」とか「祭り」とかいう現象が、とてつもなく起こりやすくなってるっぽい。


「ええじゃないか」とか「スペイン風邪」とか「ノルウェイの森」みたいに、特定条件が偶然、ものすごく重なったせいで、百年に一度とかに起きるはずの異常現象が、数年に一度単位で来るようになるんじゃないか、なんてことを市川真人さんは書いていた。ダンカン・ワッツは、そうなるとまじでやばいから、伝染病流行時の対応方法とかは社会学が物理学とか数学と協力して探さないといけないよね、と書いていた。


「炎上」とか「祭り」は罵詈雑言や賞賛絶賛が一気に大量に一箇所に集中していたわけだから、シカトしたり煽ったりすればすぐに沈静化したけど、
「ケータイ小説の流行」は、「賞賛絶賛+学生のお小遣い」が一気に大量に一箇所に集中してしまった珍しい例で、いま流行ってる「新型インフルエンザ」も同じような流行の仕方をしてるんだろう。
「新型インフルエンザのワクチン」が一気に大量に一箇所に集中してしまっているせいで、「日本、ざけんな」「金持ち、ざけんな」と言う人もいるみたいだし。


大都市の大規模書店ではなく、地方都市の中型書店で大きく売れたとか、
ケータイ小説サイト内には書きかけの小説が大量にあるとか、
読書好きの「趣味」や研究家の「教養」ではなくて、学生間の「交流」のなかで売れた、ということだろう。
そこを無視したり知らなかったり気づかないふりしたりして、
小説の「内容」だけ取り上げて「wwww」とか「新しい(笑)」とか言う話題が、
ここ数年大量に書かれて大量に読み捨てられてきたわけだけど、
僕らがその時ほんとうに注意しなければいけなかったのは、
『恋空』や『赤い糸』が読めるか読めないか(使用可能性)じゃなくて、
『恋空』や『赤い糸』をどこの誰から聞いて知ったか(流通可能性)だったのかもしれない。


資本主義と邦訳されているcapitalism(富の一極集中志向)を打破したり、修正したり、是正したりしようとして、あらゆる人文科学(政治も、経済も、法律も、文学も、宗教も、哲学も)があれこれ悩んできたわけだけど、ネット誕生以前と比べれば遥かに一極集中も、それが一挙に消滅するのも、加速していくんだろう。
2001年9月11日の同時多発テロが、capitalismへの過激な反論方法の一つだったのだとすれば、そのcapitalism自体も、同時多発して栄枯盛衰するようになるんだろうか。
それとも、それを怖がった「いまもう持ってる人」たちが、続々と「囲い込み(知の、金の、場の)」をするようになるんだろうか。


……amazonに書けよみたいな文章になってしまった(笑
つーか、呼びかけ口調にしたほうが備忘効果があるのって何でだろうね。


宮沢賢治論』(天沢退二郎)のことはまた明日とかに書くつもり。