で?っていう備忘録

再開です。

ただ見たっていうね

すごいなー。色川さんすごいなー。見習いたい。



映画がつまらないとか、娯楽に無感動だとか、そいういうことじゃなくて、
「何見ても驚かない」「ただ見たっていう(笑」
と言えるだけの量を見ているということだろうね。


「芸術」と「生活」を積極的に混同した生き方をしたい人、したかった人、しようとしている人は、
いくらでもいるけど、実際に、現実に、それこそ吐くほど「芸術」を食べ歩き続けていると、
「芸術」って、特別で大切な聖域でもなんでもない、ありふれたありきたりなものになる、ってことだろう。


とすればそれは、「芸術」が、毎日の「起床→食事→仕事→情事→就寝」と
全く同じ水準で生きられ・過ごされ、忘れられているということだ。
「飽き」とか「疲れ」とか「流行り廃り」を越えたところで(というよりは、いっそう深いところで、か)、
「芸術」が生まれて、育って、萎んで、枯れている、ということだ。


その時の「芸術」にあってはもはや「死ぬ」とか「生きる」とかそんなのどっちでもよくて、
どれをとっても大した変わり映えはしないいつもの日々が、いつまでも・どこまでも続いて、
そのなかで、たまに、「今日はいつもよりお茶がおいしい」とか「昨日より暖かくなった」とかみたいな、
「思い出せる限りでの過去」と比べて、ちょっといいとか、ちょっとダメなあれこれがあるだけだ、という。