で?っていう備忘録

再開です。

不定期開催、書きかけの卒論を晒す会(1)

久しぶりの更新です。
卒業論文を、6章立て12万字相当と計画していますが無理そうです。
ちゃんと数えなおしたらまだ6万字にしかなっとらん。
城山三郎論は、余力があれば、製本するときのおまけに使いたい。
これからケータイ小説論へさしかかります。
以下、書きかけの卒論からの引用。

続きを読む

半世紀後にはもう読まれなくなってしまうかもしれない城山三郎の「輸出」をめぐって(2)

前置きと宣伝


「はじめてのあずまん」という同人誌に、「ぼくらの町の郵便屋さん」という小論を書きました。
小説家東浩紀論です。
存在論的、郵便的』と『クォンタム・ファミリーズ』を目印に、1980年代〜2000年代の純文学の動向をざっくりまとめた論文です。学生の拙文ですが、「読みやすさ」だけは保証できます。
文学フリマでβ版を販売したところ、思わぬ好評を頂いたため(200部強も!)、更新版を発行しようかと計画しているのですが、どうにも印刷費用が足りそうになく……。「どれどれ」「気になる」「協力してやるよ」という方は、リンク先を覗いてみて下さい。


「大衆」とPOP


携帯音楽機器市場におけるSONYとアップルの関係は、純文学と大衆小説の関係と似ています。前者は先進技術の開発力に優れていますが、製品の一般普及があまり得意ではなく、ファンも玄人が多い。後者は同業他社からの技術吸収にも、製品の普及にも貪欲で、ファンは素人に多い。
「大衆小説」をめぐる議論にはかなりの蓄積がありますが、そもそも時代小説から推理小説、SF、ファンタジー、家族小説、恋愛小説などなど多種多彩なジャンルをひとまとめにしているだけあって、その全体像を語り尽くす・読み尽くすにはかなりの時間がかかります。
それだけではなくて、「大衆小説」というのは、一般に、書き手の個人史や思想遍歴に紐付けにくかったり、話題が転々とする続きものが多かったり、作家がいくつかのジャンルを「かけもち」することも珍しくなく、多作による品質の良し悪しもまばらなせいで、作品単体を精読して論じるやり方では、多くのことが語りにくい娯楽です。今の少年・少女向け漫画の読まれ方に近いところがあります。
城山三郎も例外ではなくて、彼の著作のなかには、いま読み返しても十分楽しめる強度のもの、書き飛ばされていて読むに耐えないもの、時代の移り変わりに負けてしまったものが混在しています。
もちろんそれは他の娯楽文化にも言えることなのですが、彼の然々の小説を深読みする前に、当時の文化・政治情勢を漁ったほうが、より分かりやすいのは事実です。
どちらかと言えば、大衆小説は作品の自立・完結よりも、社会とのつながりを選んできたようです。だから、一作いっさくの賞味期限は短くなりますが、その分「開かれた作品」として同時代の多くの人がアクセスしやすくなっている。そのせいもあって、大衆小説は論じにくい。必ずしも作品自体の出来不出来に評価軸を置けるわけではないからです。
というわけで、「続きを読む」以降から、城山三郎が処女作を『文学界』という純文学の雑誌に発表する、前後10年の社会の動向をざっくり見ておきます。


※しばらく年表の羅列が続きます。

続きを読む

半世紀後にはもう読まれなくなってしまうかもしれない城山三郎の「輸出」をめぐって(1)

前置き

本稿は2010年春頃に書かれました。必修演習の課題作文へ宛てたものです。
「言わゆる「戦後日本文学」から小説家を一人取り上げて自由に論じなさい」という主旨の課題でした。
大衆小説家として存命中に多くの読者に愛された人の宿命なのか、学術論文の世界では、まとまった城山三郎研究がまだほとんどありません。文庫解説や評伝がぽつぽつ出ているくらいです。何かしらの足しになればと公開することにしました。
というのは建前で、ぼくが城山三郎を扱うことにした直接のきっかけは他にあります。それは要するに、
「文学の場で、先端技術の革新性を評価するのと同じように、一般普及用製品を評価すると、どうなるか」
という問題意識です。一般に大衆小説とかエンタメと呼ばれる作品群が、学術の世界ではどちらかと言えば取り上げられにくい現状にあるのはなぜかも、気にしながら書くつもりでした。
だから、あまり思い入れのない(というか読んだことのない)作家を扱うことにしました。ぼくは城山三郎のあまりよい読者ではありません。なれそうにもありませんでした。『粗にして野だが卑ではない』を夢中で一気読みしたくらいです。城山三郎への愛着は、きっと、「たまには本でも読んでみよう」という思いで月に数冊、軽口の小説を読む人たちと同じくらいです。
そんな人が、城山三郎の処女作「輸出」とその周辺に話題を絞って書いた論考です。学生の試論にありがちですが、型通りの整理をしているわりに、論展開に肝心の説得力がありません。半信半疑でご笑覧ください。参考文献は後述します。

続きを読む