で?っていう備忘録

再開です。

本日のシェフのおすすめ生野菜セット

ふだん自分が過ごしている生活からあまりにかけ離れた突飛な設定のフィクションを見ていると、それに没頭できないのと同時になんとなくほほえましい気分になることが増えた。


ほほえましいというのは、自分より下の身分の人がしょうもないことに熱中している時のリアクション代表候補で、実戦でもまずまずの成績を残しているから、次の試合あたりに一度先発で使ってみようか、というような気分のことだ。


十五年前の夜中にひとりでトイレに行く途中の廊下は、ほとんどすべての空間が、すごく怖いものがいきなり時空を超えて飛び出してきそうな気がして泣きそうだったのに、いまではそんなことぜんぜんない。


そんなこと考えてる自分まじでしょうもなっ、なんて思うようになってきた。


「世界は5分前に出来たかもしれない」とか、
「他の人の考えてることは全く分からないのに、自分の心中独白だけが相手に筒抜けなんじゃないか」とか、
「このキャベツを剥いていったらいきなりミミズが出てくるんじゃないか」とか、
「ひょっとしたら自分は宇宙人なのかもしれない」とか、
「屋上で長い間下を見つめ続けていたら飛び降りてしまうかもしれない」とか、
そういうのだ。


「何が起こるか分からない」場所だった世の中が、「どうせたいしたことは起こらない」ひと時に変わった、ということなのか、「何が起こってもおかしくない」と悟ったから無駄に焦らなくなったのか。


激怒も歓喜も号泣も撃沈もしなくなった代わりに、自分の気分を自分で盛り上げるスイッチみたいなやつの在り処がよく分からなくなって、やっと見つけた頃にはもうその話題は終わっている、みたいな乗り遅れな感じを味わうことが多い。


家の玄関の鍵を開けた瞬間に、午前中の授業後の他愛もないお喋りの時の適切な相槌が思いついたりとか。


それが嫌なのか?というとそうでもない。ただ全身が徐々に鈍くなっていっているのは事実だ。ぼくはまだ二十歳だ。