で?っていう備忘録

再開です。

ずるぃ人

9/22のエントリ「岩男その2」が、自分で書いといてなんだがすごく気持ち悪いので、なるべく早く下のほうに追いやりたいのに、これといって特筆事項もないので、困っている。


以下、『詩を考える』(谷川俊太郎)より引用。至言の数々。
自分がちょっといろいろ経験してるからって、こんなにも本質的なことをさらっと書くなんて、ずるい。
そのいちいちがもっともであるので、ぼくは読みながら、悔しい、と思ってしまう。
負けねぇぞ!と思う。もっと、勉強せねば、と思う。

詩が芸術である限り、詩を書くことは芸に他ならない。詩を書いている時、われわれは思想家であってもならないし、雄弁家であってもならないし、エッセイストであってもならない。あるいは、われわれは少しずつ、それらのすべてであってもいいかもしれない。だが、われわれが人々とむすびつく点では、われわれは常に詩人という芸人でなければならないとぼくは考える。

入沢康夫の失題詩編を引用しながら)現代では、誠実(シンセリテイ)はしばしば、不真面目な外観を持たざるを得ない。勿論、現代の誠実はすべて不真面目な形でしかあらわせないというのではない。だがこのような時代に、誠実に生きようと本当に努めている人々にとっては、自分を守るために、生き続けてゆくために、或る時には、ジャジャンカ ワイワイと書くことが必要なことがある。それは決して単なるお道化ではない。自己防衛のためのひとつの切実な戦いなのである。そしてそういう風に書くこと、それ自身が現代への諷刺としての意味をもつ。