で?っていう備忘録

再開です。

offのつもりが2

ところで、「書くこと」が公に向かって恥ずかしくない意見を開陳することだったのは、
実質いつ頃までだったんだろう? 
いまは、どうなんだろう? 
メールって、日常生活でいちばん頻繁に行われる「書くこと」だけど、
親しい仲の人とメールする時、「言葉遣いに気を配る」を律儀に気にしてる人って
どれくらいいるんだろう?
「相手の顔が見えないから、ふだん口で話す時より言葉にデリケートになる」
「相手の反応を予想してものを書く」
というのを、メールを書く時に、常に気にしてる人って、かなり稀じゃないのか?
かつては、「書くこと」自体の頻度がそれほど高くなかったから、
自然と、「書くこと」に対する注意や注力も、高かったんじゃないのか。



と、「かつては」なんていい加減な言葉遣いで大雑把に話しをすすめるのも
どうかと思うので、たとえば、


平安男子がひらがなで日記を書かなかったのは、
ひらがなを「ふだんづかいの=カジュアルな」文字として扱っていたからで、
漢字を誰にでも(外国の人にも)読ませられる、
言うなれば「ヨソ行きの晴れ着」みたいに使いこなしていたからだと思う。
スーツ着てフォーマルにスピーチする、みたいな感覚で漢字を使ってたんだと思う。
根拠もなく思う。


たとえば「とる」という動詞だけでも
「取る、採る、撮る、捕る、執る、盗る、録る」
とまぁ大量に異なる当て字があって、
この使い分けを日本語の授業ではみっちり教え込まれるわけだけど、
これって、「とる」という動詞に9個の意味があるわけじゃなくて、
「とる」という言葉の定義域がすごく広くて、揺らぎがある、ということだと思う。
例文を考えてみればわかるように、



「ちょっと醤油取って」
「そんな食事じゃビタミンがぜんぜん採れない」
「ちゃんと撮れてる?」
「こうしてまさるは魚を捕るしかない状況に追い込まれてしまうのだった」
「筆を執るのがどうにも近頃は億劫で……」
「人の飲み残したピルクルを盗ってはいけません」
「『あい(ハート)のり』録っといてってゆったじゃん!」



「とる」という言葉の表記が変化するのは、
周辺の言葉との関わりとか話しの流れとかではあるけど、
ふだん口で話してる時に、僕らは、
「とる」という言葉の表記をそれほど気にしてない。
「最初」と口にして話すときに、
「最も初めから」というニュアンスを意識して話す人ってそんなにいない。
「最初は」と「当初は」の意味範囲の境界線はほとんどなくなってる。


(つづく)