で?っていう備忘録

再開です。

2・23

・2/16日のエントリを読み返す。雑だ。
「「渦中の言葉」を悲しく語る人って、嫌い。」と丁寧に言おうとして、
論旨がずれてたり、言い足りてなかったり、無防備になったりしている。
私が嫌なのは「悲しく」であって、かつて「悲しく」語っていた昔の自分であって、
語ること自体は別にいい。そこは書き手としての生存権みたいなものだし。
「うるさいなー」とか「嫌だなー」は思うけど、読まないようにすればいい話だからな。


・『情報社会学序説』。
書かれていることについてはGoogle先生は何もかもお見通しだから、
著者をめぐるあれこれのことは何も言わない。
「パソコン使えるせっかちなM・フーコー」みたいな人。
私の議論の延長線上にある話題をほとんど先取りしていて驚いた。
平成十年代に日本の若い文系学者が話していた話題をひと通り集めてみたよ、という本。
文芸系の年長の方々にはこの手の話は面白くないんだろうな、と思った。
「そんなの前から知ってたよ。文学空間では語るにも満たない当たり前のことだよ」
なんて言いそう。
「だったら、知らない人たちに教えに行こうよ!」という小説を書いている。
というか、この本読んで、そうなった。方針が変わった。


・「『マイケル・K』は『城』や『モロイ』や『ダンス、ダンス、ダンス』と同じで「残機0」「飛び道具なし」「ラスボス不在」の横スクロールアクションゲームだった。「ラスボス不在」がユーザーに許容されるというのは、文芸が百年かけて手に入れた大きなアドバンテージだと思った。」という要旨のことをTwitterで呟いて、
こういう思考法は米光一成さんとかが「日本文学ふいんき語り」とかでもう4、5年前から始めていたなー、と気づいた。ようやく追いついたというわけだ。
次はどっちへ行こう。各界の名作を共通のフォーマットで頂上決戦させてみるとかしたら面白いかな。


・花粉症の薬のストック>残り滞在時間なので外に出られず本ばかり読んでいる。