で?っていう備忘録

再開です。

大きいほうが読みやすいし書きやすいな

文字サイズを変えるとどうなるかを試してみることにします。


「お亡くなりになられる」は接尾語「御」と婉曲動詞「亡くなる」と尊敬の助動詞「られる」と三つも敬い尊ぶ語がくっついてて、慇懃無礼じゃないか、過剰包装じゃないか「亡くなられる」でよくないか、もしくはいっそのこと「御御御亡くなりになられ奉り給う(おみおなくなりになられたてまつりたまう)」くらいにまで重武装してみてはいかが。と思った。


だいぶ昔に出版されたのに、カスタマーレビューや書評がぜんぜんない本は、きっと面白い。面白過ぎて初心者には理解できず、面白過ぎて玄人にはうまく感想がゆえないとか、そういう理由で、虚空に突如出現したみたいに周りから孤立してる。


「ふつう」じゃない人たちが大勢たむろしている場にいながら、「ふつう」の人がふつうに楽しく読めることを書く、という姿勢で、「ふつう」の人には少しわかりにくいことを、「ふつう」の言葉で書く。難しいことを言って煙に巻いたり、抑えつけるようなことを言ってしょげさせたりとかは、みだりにしないようにする。少し立ち止まってものを考えてほしい時には、噛み砕きにくい難しいことを言うこともある。もっと強く大きく育ってほしい時には、抑えつけるようなことを言うこともある。その時には、なるべくあとでちゃんとフォローを入れること。本気で言ってるけど、本気で言ってるわけじゃなくて、その時はそう言うのが最適だと思ったので、言ったのです、と、いえるくらいの感じでいうこと。

自分について書くとき、変に自罰的で抑圧的な言い方になるのは、自己卑下意識が強すぎるからか。大切なことを見失うことがあるので控えめにしたい。

「読まれなければ・伝わらなければ・売れなければ意味がない」というのは、たくさんの人から場所やお金や時間をもらって好い文章を好い読み手に届けたいと心から願っている人が口にするべき台詞であって、いまの僕みたいに辺境の小さくて狭いところでこつこつものを書いてる人が言うとぜんぜん説得力がない。