で?っていう備忘録

再開です。

「もっと評価されるべき」すべての文芸たちのために(4)

4.あの小説家と、リービ英雄

阿部和重の「方言」は読み手に「わからせない」ために書かれているが、リービ英雄の「方言」は書き手が歩み寄って理解するために書かれている。

金城一紀は「insider」として日本語で小説を書くが、リービ英雄は「outsider」として日本語で小説を書く。

笙野頼子の「私小説」は誰かに「投げつける」ために書かれているが、リービ英雄の「私小説」は何かを「受け止める」ために書かれている。

多和田葉子の「翻訳」は二つの言葉の「ずれ」の深みへ潜ろうとするが、リービ英雄の「翻訳」は二つの言葉の「ずれ」を越えようとする。

ミラン・クンデラは「越境者」として「考えたこと、知っていること」を書くが、リービ英雄は「越境者」として「感じたこと、驚いたこと」を書く。

大西賢示は「ホモ・ソーシャル」をたぶん知らずに書いている。リービ英雄は「ホモ・ソーシャル」をたぶん知らずに書いている。

古川日出男は「ポストコロニアリズム」の渦中で駆けずり回るが、リービ英雄は「ポストコロニアリズム」の手前で立ち止まる。