で?っていう備忘録

再開です。

「もっと評価されるべき」すべての文芸たちのために(8)

8.多和田葉子と、リービ英雄

翻訳はどうがんばってみても不自然な結果しか生み出すことができない。ただしその不自然さは、あくまでも自然現象の中に住み込み、そこにありえないねじれをもたらすような種類の不自然さだ。人工物の、人為の不自然さではなく、自然言語の猛烈な整序の力にねじふせられて自然と見分けがつかなくなり、半信半疑ながら誰もが受け入れてしまうような不自然さ。それは自然言語にとっての宿り木、発芽する肉、ゆっくりと成長する鍾乳石で、見慣れないものとして不意に現れ、やがて人々はその存在に慣れてしまうのだが、どこかに越えられない一線があって、ザラザラした手触りや、異臭や、できの悪い音響が残っている。翻訳という作業のあいだに唐突に出現した何かの痕跡は、消そうと思って消せるものではなく、一言語において翻訳者に仕える言葉と読者が期待できる言葉の既成のレパートリーの秩序が、それによって打撃をうけ、撹乱される。それが当の言語の変形の瞬間であり、翻訳は少なくともそうした変化の瞬間を、創作の場合よりもずっと正確に標定して見せてくれるのだ。

『本は読めないものだから心配するな』(菅啓次郎)

私は人妻が手淫していた
私は老婆が手淫していた
私は女性重労働者が手淫していた
私は人妻が手淫していた
私は牛乳びんが手淫していた
私は時計が手淫していた

『月』より抜粋(鈴木志郎康

「わたし」はすでに機械と化している。翻訳する機械。だが「わたし」はけっして無気力でもなければ無感覚でもない。機械のように逐語訳をする「わたし」は、たぶん二つの言語の間で(多和田はこのあたりの場所を正確に「爆発後の噴火口の縁」と表現している)、大きな穴を横目に見ながら、どちらの穴=言語にも落ちないように身体を維持しているのだ、と思う。二つの言語のぶつかりあいによって産み落とされる小説だけが軋んでいるのではない。小説を書いている小説家は、翻訳者の使命をまっとうしたいという欲望に忠実であればあるほど、どんどん迫りくる穴と穴の間の、とても狭い境界上で、かろうじてバランスをとるという身体的な軋轢を経験しているのである。

『文字移植』文庫解説(陣野俊史

「私は人妻が手淫していた」というのは、無理な分析を試みれば、(なぜ「無理な分析」かといえば、これはやはり一種の無意味な文以外ではないからなのだが、)「私は」は作者自身の現実的な存在を示し、「人妻が」は作者のイメージのありかであり、「手淫して」は孤独な生のあり方の暗示として置かれ、「いた」はこれらの意味が作者の意識内に現象したことを示しているのだ。このセンテンスを読んだものは、「私は手淫していた」と「人妻が手淫していた」の二様の意味の合体ととるか、又は「象は鼻が長い」式のセンテンスと同じものとして、「私は、人妻が手淫しているようなものであった」という意味に取るだろう。それは読者にとって、言葉と言うものの意味を捉えるには、何かしら現実の事象を手掛かりとする以外にはないからなのだ。だが、ここでは作者にとっての現実の事象は、このセンテンスが現実に於いては無意味を意味するということ以外ではなく、その無意味として提出した内容が意識内に存在する意味体系のありかを示しているものとなっているに過ぎないのである。それは、作者の無内容な表現というものなのである。これは正に、私の言葉に対する拝物的迷信の結果以外ではないのだ。

『極私的現代詩入門』(鈴木志郎康

いつごろからだったろうか、そんな状態からぼくが徐々に抜け出していけたのは。言葉が自分のうちにあるわけではなく、そしてまた自分が無から創り上げるものではなく、それは先ず自分のそとにあって、自分はただそれを再組織することができるだけなんだと気づき始めたのは。先日、ある集まりで対談をしたとき、与えられた題名「自分のことばをつくる」に対して、その主題を考える前に、〈ことばが自分をつくる〉ということから考え始めたいとぼくは発言した。
この世に生まれ出たその瞬間から、人間は言葉の海にほうり出されるんだと、ぼくは言った。こういう言いかたは、前にどこかで読んだ記憶があったけれど、そのときはもう他人の言った言葉だという気はしなくなっていた。〈その事実ひとつとってみても、言葉を私有するなどということができないのははっきりしている〉われわれは母親ないし、それに代わる保護者によって、抱かれ、ほほえみかけられ、食べものを与えられ、同時に話しかけられる。
言葉はまずあたたかい肉体をもったものとして、赤んぼうにしみこんでゆく。言葉をになう声そのものがスキンシップであり、愛情のひとつのかたちだ。〈ちょちちょちあばば〉〈いないいないばァ〉、そんな他愛ない言葉によって愛撫されることから、人間は言葉を覚え始める。平凡な乳幼児時代は言葉との蜜月時代か、人間はなんという幸せな形で、言葉との接触を始めるものかと思う。
だがその蜜月時代は長くは続かない、ほとんど無意味な、それ故にやさしい遊び言葉は子どもが大きくなるにつれて、禁止語、命令語、威嚇語、つまり秩序へむかう管理の言葉へと変化してゆく。それもまた、当然の道筋だ。そういう言葉なしでは、われわれはこの社会の秩序を維持してゆけないのだから。

『詩と世界の間で』(谷川俊太郎

けれども、君は賛成してくれると思うが、たとえば、連句とか連詩とかの共同制作の体験が僕らに語る最も重要な事柄のひとつは、次のことではないだろうか。つまり、この種の共同の場で、相手に「合わせる」ことに心をとぎ澄ましてゆけばゆくほど、各人の隠し持っている個我の、何とも犯しがたい最も強固な核のようなものが、一挙に露顕し、その個我の力こそが、共同の場を分かち合う人々の心のつながりを最も強く支えるもの語なるということ。
この場合、〈相手に合わせることに心をとぎ澄ましてゆけばゆくほど〉という前提条件が絶対不可欠で、これがなければ、連句連詩も、ケチな自己主張の乱暴狼藉の場に堕してしまう。この違いは小さく見えて実は天と地のへだたり。(中略)
これらの製作の場は、個性滅却をわれわれに迫ることによって、逆にわれわれの中から真にわれわれ自身の核を造っている個性の猛然たる反撃をうながすところに、その最大の意味がある。
だから、連句とか連詩とかをやると、一人一人の参加者の精神的故郷がわかる。平たくいえば、オサトが知れる。そう思わないかい。ちと悪趣味かなあ、このような見方。

『詩と世界の間で』(大岡信