で?っていう備忘録

再開です。

「もっと評価されるべき」すべての文芸たちのために(10)

10.大西賢示と、リービ英雄


僕にとって『底辺女子高生』(豊島ミホ)は、もはや小説なのかどうかわからなくなるほど優れた前衛小説だけど、この本は「エッセイ」として売られている。『巣鴨とげ抜き地蔵縁起』はもはや詩なのかわからなくなるほど優れた前衛詩だけど、これも「小説」として売られている。
マルセル・デュシャンが伝統絵画から亡命して「芸術」の大枠から脱け出したのは1917年のことで、アンディ・ウォーホルが商業芸術を執拗に洗練させて「芸術」の境界線をいつでも消したり書き直したりできるようにしたのは1964年のことだ。
高橋源一郎は1980年のデビュー以来、大橋巨泉の競馬予想や一部の官能小説や『中原昌也作業日誌』をことさらに「文学」と呼んで既存の解釈基準に揺さぶりをかけ続けている。
東浩紀保坂和志より遥か以前にマルセル・プルーストは『サント・ヴーブに反論する』で批評から小説へのさりげない横断を犯している。
舞城王太郎が『ディスコ探偵水曜日』でSFとかミステリとか純文学とかエンタメとか書簡小説とか哲学小説とか教養小説とかいう細かいだけで役に立たない区分を痛快に蹴り飛ばせたのも、小島信夫という「人生」と「小説」の区別がもうほとんどなくなっていた偉大な先行作家の晩期の仕事があるからだ。
シュレーバー闘病記』や『噂のベーコン』やヘンリー・ダーガーの、題名も枚数もすごく長い文章たちを引き合いに出して、「狂気」や「生活」と「小説」の線引きを再考する動きも日本で注目され始めた。
「小説」が文字の集まりではなくて生身の人だったなら極めて悪質ないじめだと呼べるほど、「小説」の外壁は四方八方から殴られ、抉られ、毟られ、犯され、蝕まれている。
「小説」をいじめればまだ何か隠していた秘密を吐き出すのではないかと期待する人もいるし、叩いて伸ばして拡げたり隣接地域を吸収合併して「場」としての規模の収縮を遅延させようとする人もいるし、知ってか知らずか「小説」の形式に今まで以上に律儀に厳密に寄り添って高度で純粋な「文芸」をしようとする人もいる。
この状況はひと昔前の現代詩が直面したものと酷似しているし、かなり以前に短歌や俳句が直面し、通過していったものとも似ている。ここでは短歌を例に示す。
万葉集』で芸術形式として定着・自立した「短歌」が、『古今和歌集』を一応の目処とした洗練を経て、『新古今和歌集』を経験した後、成熟の果てに腐敗し、陳腐化したのは8世紀から13世紀までのことで、その間の盛衰の様相は、ひとつの芸術形式の「一生」を概観して素描するための典型となる。詠むべき歌、取るべき歌人をほとんど捨象してしまう見立てだが、「芸術の一生」を大雑把に示すことができる。
祭礼や遊戯として楽しまれていた「歌」から、まず大原則としての七・五調が整い(散文が韻文化し)、長歌の応答に過ぎなかった短歌が量的に増え、儀式や座興に用いられるようになり、部立や題材や技巧による排除と選別の開始とともに暗黙裡の批評が始まり、明文化された形式と言外の規則が増減や離合を繰り返しながら整理され、複雑になり、高度になり、詠みが多義化し、既存作品の蓄積が進み、良し悪しの判別が慣習化し、作歌にも詠歌にも知識と「場」の空気を察せるだけの力とゆとりが求められるようになり、正統と異端、支流と亜流が生まれ、「方法」の洗練に伴う「場」の閉塞が反動として大衆化を引き起こし、批評が活発化し、「場」を活性化させるための逸脱が起こるようになり、反発した大衆がしかし数でそれらを凌駕し、規則や慣習が顧慮されなくなり、やがて芸術形式自体が老朽化し、規模を徐々に収縮し、次第に陳腐化(あるいは高級化)して、忘れられる。そして長い時間が過ぎてから、何も知らない誰かがまた、埋もれた形式を見つけるか、よく似たものを再創造して、もう一度、同じことが、別の時代、具体的には19世紀末から21世紀初頭のあいだで繰り返される。
この見立てを使って「○○史」を語る時に注意しなければならないのは、次の二つだ。「芸術の一生」を語り始める始点・通過点・終点の設置地点が操作者の任意でいつでも動かせること、語りの論理や倫理にそぐわない事物が(ほとんどの場合知らないうちに)削ぎ落とされること。だからこそ、「芸術の一生」の語り手は、自分がどんな論理や倫理に従って物語を語っているのか、なるべくまで明示したほうが親切で、読み手も、語り手が従う論理や倫理への配慮を忘れない/思い出すことが求められる。
同じように、語り手は自分が集めた材料、使う方法、物語を編集した規則に自覚的であるべきだが、その配慮には限界がある。その物語がいつの・どこの・誰にどうやって消費されるか見えにくかったり、語り手の意志が前もってはっきりしていなかったりするせいだ。
そんな時は、読み手が多少気を利かせて、その物語の限界、だけではなくて、語り方の限界、編集法の限界、集められた材料の限界を把握してやればいい。語り手の恣意性を糾弾するよりも、語り手の語る物語との付き合い方を考えたほうがいい。
さっき短歌を例に語った見立てで言えば、僕にとっての「小説」は、「規則や慣習が顧慮されなくなり、やがて芸術形式自体が老朽化し、規模を徐々に収縮し、次第に陳腐化(あるいは高級化)して、」という段階にある。僕は1988年に生まれた。
ところで本章では本来ならリービ英雄がホモ・ソーシャルに絡めて論じられなければならない。女性の社会的地位向上を当面の目標として、フェミニズムが言説として意欲的に組織化された時期は、各国によってまちまちで、まだまだこれからだという地域もあるが、日本では19世紀後半からだと言っていい。それ以来、(権利や権力や経済力や能力や発言力……etc=)「力」を持たない立場の人がこれまで社会でどうやって抑圧されてきたかを明らかにし、人々の考え方を少しずつ変え、「力」を持たない人が少しでも生きやすくするためにはどうすればいいか、これまで多くの人たちによって考え、悩み、訴えられ続けてきた。SexとGenderの区別や関連付けから、性的志向の区分けの細分化、性自認の揺れの「発見」、sexeとsexualitéにまつわる言説群の撹乱、相対化、枠組み自体の解体・再構築。そうした理論・運動的蓄積の流れのなかに、「ホモ・ソーシャル」という考え方も位置付けられる。ホモ・ソーシャルは逐語訳すれば「同性社会の」。俗語を使って補えば、「おかま嫌いで女嫌いの男たちが知らず知らず作っている閉じた場の」とでも訳せるか。
けど『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』(イヴ・K・セジウィック)の主眼は概念提起ではなくて読み替えにある。いままで知らなかった・忘れていたことを知る・見直すために、何かをまた別の言葉にすること。セジウィックの真の狙いは正史の再構築でも対抗史(alternative-history)の定立でもないのだろう。ホモ・ソーシャルを取っ掛かりにした歴史が描き得ることを明晰に示すこと、もうひとつの歴史、その人が大切にしたいことについての歴史、「力」を持たない人が少しだけ「力」を得るための歴史を示すこと。彼女は正しく学問をしている。言葉を使って誰かの誤解を解き、苦しみを癒し、痛みに耐えられるようにするための学問。僕はセジウィックの仕事に対する姿勢を汲む。

「タマタマを取ってもね、興奮したら、ちんちんは勃起するんよ。イク瞬間にもきちんと快感があるし、精液みたいなのもちゃんと出るのよ」「へぇ、そうなん? 不思議やねぇ」タマタマを取る手術は、言ってしまえば、切って結ぶだけの簡単な手術で、危険はそれほどないということだった。精巣は体と単純につながっているだけで、血管などをつなぐ複雑な作業の必要がないから30分程度で終わるらしい。お金のないニューハーフは、去勢手術の経験が豊富な獣医にきってもらうこともあるらしかった。手術に関する知識を頭に入れて、どんなに「安全」と聞かされても、ギリギリまでやはり緊張した。手術の前日、私は一人エッチをたくさんした。《もうこんなに気持ちいいことが経験できなくなるかもしれない》と思いながら、何度も何度もマスターベーションを繰り返した。診察台の上でも、まだ、私は迷っていた。こういうところは、本当に私の悪い癖だ。「もう子供が作れない体になっちゃうんですね。私、精子バンクのことも調べたんです」「そんなことを考えている人が、睾丸なんて取ったらだめよ」先生は少し怒り気味に言った。私がさんざんお願いして、やっとこの日になったのだ。先生が怒るのも無理はない。「そうですよね。先生、大丈夫です。お願いします」私はあせって答えた。もし先生の気が変わって手術をしてくれなくなったら大変だ。手術は本当に簡単だった。点滴と麻酔を打たれて、先輩に聞いていた通り30分程度で手術は終わった。「はい、終わったよ」「ありがとう、先生。ほんまにありがとう」私はまた一歩、女性に近づいた喜びをかみしめた。まだ痛みはあったけど、病院を出た私は自宅に帰らずそのままお店に向かった。「どうやった? ちゃんと取れた?」お姉さんたちが目を輝かせて集まってくる。この業界では、手術をしたニューハーフが改造前のニューハーフに手術痕を見せるのがちょっとした慣習になっている。私もアキさんの股間を見て憧れた一人だ。私自身も、お姉さんたちと一緒に始めて手術後のあそこを見た。誰かと一緒で泣ければ、怖くて傷跡を見ることなどできなかった。すると、なくなっているはずの睾丸部分が、むしろ何かを入れたようにふくれあがっている。私がいままで見せてもらったときは、みんなちゃんと小さくなっていたのに。「ジュンのあそこ、タヌキの置物みたいになってるで」「アハハハハ」みんなが、お腹を抱えて笑い出した。「えーっ、なんでなん?」ショック!結局、それは手術後だったから、晴れ上がっていただけで、数日後には私のその部分はちゃんと小さくなってくれた。でも、そのときは、本当に笑えなかった。
(『素晴らしき、この人生』より。なお、引用時に僕が改行をすべて消してある)


余計な警戒を防ぐために本名を章題に書くことにした。かつて大西賢示だった「はるな愛」は「ニューハーフ」であることを公にしながら「芸能活動」をしている。『素晴らしき、この人生』(講談社 2009年)は、僕が手に取った書店では「エッセイ」の棚に置かれていた。
僕はこの本を「文学」だと言うつもりはない。たとえば『狂人日記』(色川武大)や『slow man』(J・M・クッツェー)や『和解』(志賀直哉)と比較して、余計な細部の省略の適切さ、煩わしい心理描写のなさ、場面転換の早急さ、時系列の不鮮明さ、最小限の会話文や独白文が的確な位置に適量配されていること、「笑い」が意識的に書き込まれていること、下世話な題材を語る時の躊躇いなさ、などを褒めるつもりもない。「小説の歴史」にこの本を組み込むつもりがないということだ。「小説の歴史」の読者にこの本を知らせる必要はないと僕は考えている。
フェミニズムやLGBTやホモ・ソーシャルの文脈から評価することもしない。セジウィックやジュディス・バトラーが論考に用いた武器を援用すれば、大量の小説を素材にした大量の論文が濫造できるけれど、きっとその論文は僕のためだけに書かれた誰にも届かないものになるだろう。同じような理由で、社会で一般に流通している概念を外から持ってきて、特定の細部だけを過度に強調して読むこともしない。その論文は「社会」という曖昧で得体の知れないもののために書かれていて、こういう言論がほんとうに必要な人には届かない・伝わらないだろう。
僕は『素晴らしき、この人生』をなるべくまともに読まないようにする。セジウィックが「付加読み」を武器に文学史を塗り替えたように、僕は『素晴らしき、この人生』に書かれている「問題になりそうな箇所」をさっと読み流す。代わりに僕が読み取りたいのは、この本に書かれている不安、緊張、迷い、焦り、恥じらい、それから「ショック!」。僕は「私」の言葉を抽象し、脱色し、一般性を与えながら読む。
この本の「私」は「これまで隠していたこと」を「告白」したせいで、「大切な人」との関係がぎくしゃくしていて、「大好きな人」にも見捨てられ、毎日落ち込んでいた。ある日「私」は「毎日が少し楽しくなるかもしれない可能性」を見つける。それは「私」のいる地域では「してはいけないこと」であり、「大切な人」を裏切るかもしれず、そもそも「一度してしまったら取り返しのつかないこと」だから、悩む。「取り返し」がつく方法も考えたけれど、「余計な不幸」が生まれるかもしれないと考えてやめる。「そうとうな覚悟」をして、決心する。すること自体は簡単で、すぐに終わることだけど、また迷う。けど、迷っていたら「時期」を逃してしまうから、焦る。とうとう、「それ」をする。「それ」をした痛みを引きずりながら「仲間」のところへ帰って「報告」する。「それ」をしたはずなのに、これまでと見た目が変わってなかった。「仲間」に笑われる。恥ずかしさとか、焦りとか、不安とか、疑念が結集して来て、「私」を強かに打つ。「ショック!」あとになって「それ」が成功したことがわかったけれど、「その時は、本当に笑えなかった。」
僕は睾丸摘出手術をしたことがないから、「恋愛」とか「いたずら」とか「贅沢」とか、僕にも理解できそうなことがらを「それ」に代入して読むしかない。「私」に代入出来るように「僕」から余計な知識を省いて、足りない知識を補って読むしかない。「私」の「それ」をそっくりそのまま理解出来るわけではないけれど、何かが「ずれた・足りない・欠けた」理解になってしまうだろうけど、僕はなるべく「私」に近づくために、「それ」を一般化し、普遍化する。つまり陳腐なものに貶めるというわけだ。とはいえそれで理解可能性が少しでも高まるのだとすればしめたものだ。「それ」が何であっても、僕が近づく対象が「私」でも、作中人物の一人でも、一つの出来事でも、一つの言葉でも、『素晴らしき、この人生』自体でも、この本を含む「文芸」全体であっても、同じ操作はできるはずだから。「問題になりそうな箇所」だけを話題にする息苦しい場の風通しをよくすることができるはずだから。