で?っていう備忘録

再開です。

一日一万字は書けないとね。

他の人のブログとか小説とかエッセイとか評論を豚のように読み漁っていると、
他の人はすげぇなぁすげぇなぁと思います。
いっぱい書くなぁ、と。量的驚愕。そしてみんな文章が上手い。


と言っても小難しい論理や熟語を軽々と使いこなしているとか、
読んでる最中から笑えて仕方ない文をさらっと書ける描写のセンスとか、
文学的に無駄の欠片もない洗練されたセンテンスだとか、
そういうことじゃなくて。


「ぴったりしてる」とでも言えばいいのか、その人の年齢とか生活スタイルとか趣味とか所属している文化圏とかにそぐう、読んでてしっくる来る文章を、さらっと流し読みできるくらいな自然さで(をみんな装っているんだろう、楽屋裏でバタバタしてるのが見えると見苦しいから)、インフルエンザが流行っていることとか、学校が休みになったこととか、会社が休みにならないこととかを書いている。


すごいと思う。いや、皮肉とかじゃなくて。まじで。


全身シャネルでBBQに行ったり、ノーベル賞授賞式に高校ん時のジャージで出たり、
アマゾンの奥地を袴・烏帽子で探検したり、アダルトビデオの撮影中まったく肌を露出しなかったり、
みたいな「場違い」な服装は目で見てわかる人がほとんどだから滅多にないんだけど
(だからネタになるんだけど)、
世間には「場違い」な文章を書く人がけっこういて、本人は
「芸術ですから」
「文学ですから」
舞城王太郎さんの影響を受けてますから」
なんて居直ってる、なんてことがちょくちょくあるらしい。


なのにネットだとそれがほとんどない。


みんな自分の持ち家にふさわしい文体、文量、文質でものを書いてる。
あらかじめ分類区分や境界線が決められていたわけでもないのに、
いつの間にか棲み分けがきれいに出来てる。


哲学ヲタが女子高生ブログに意味深長な書き込みをしたりしないし、
ファッションモデルが登山愛好家の専門用語で山の魅力を語ったりしないし、
エログロが好きな人たちの集いは清潔な口調での会話がなされているし、
「読書家」と呼ばれている人たちの書評には独特の「ねじれ」というか「ひねくれ」みたいなのが窺える。


すべての書き方がすべての書き手のすべての書くことにぴったりで、読んでてしっくり来るのだ。


なんかすごくない?


それなのにみんな「私は文章が下手で。。。」とか「俺には文才がない。。。」とか言うんだぜ。
羨ましいんだぜ。


くだらないことをくだらなく書きやすいモードとかスタイルみたいのが欲しい。
それを探すためにスタミナが欲しい。blackbisketsのじゃなくて。


こういう時は豚肉を食べればいいはず。
昨日の夜、友達と鉄板屋に行って食べたはず。
もうそろそろ効き目が出てもおかしくないはず。