で?っていう備忘録

再開です。

はぐれ遊牧民情熱派

本題に入る前に、2009年に読んで面白かった学術論文をメモ。

ブランショ 可能なもの不可能なもの』上田和彦
ジョルジュ・ペレック論 「Wあるいは子供の頃の思い出」の起源』福住遊
『翻訳という<魔法>を考える』大久保ゆう
『占領下のパリ、強制収容所、居合わせなかった者の記憶』塩塚修一郎


というわけで。

今季の『文藝』ヤバい。

一個いっこの中味はまだぜんぶ読んでないけど、文章の「載せ方」がカッコ好すぎる。
島本理生が大勢の人の手で丸裸にされてしまっている。非常にエロい
こんな小説の脱がせ方があったとは。
目次の組み方から写真の挟み方から掲載順に至るまで細部にすごく気が配られてて、
ぱらぱらめくってるだけで楽しい。


文学フリマ出たい人、「文芸同人誌」を作りたい人は、
とりあえず今季号を買って、打ちのめされましょう。焦りましょう。」
と書きたいので、近々エントリをまた別に書くつもり。


けっきょく島本理生特集のコンテンツにはまったく目が行かなくて、
記事の置き方・文字サイズのいじり方・写真の使い方に惚れ惚れしてたら、
雑誌全体を通低している(わけではないだろうけど)物語が終盤に来て、
立木康介という人の評論を一気に読んで、集中力が途切れた。というか切った。


この評論の感想とかもあとあと書きたい。
とりあえず一言書き留めておくなら、
手際の好さと仕事の速さ・精確さを読書中ずっと感じていた。
語り口の巧さというか、話題の絞り方に雑さがなかったのも好感が持てた理由。


書き出しから数行読み始めたところで、「予感」がして、
焦って文末の「作者の一言」を見て、なんとか平静を保つ。
干支だと二回り弱くらい年上の方の論考なことがわかったから。
僕にもまだ勉強する時間がある、と思えたから。しかし動揺を隠しきれぬまま読んだ。


「予感」というのは、「あ、これから面白い話が始まるな」という予感なのだろうか。
自分でもわからない。「あ、やばい。これ。読むと嫉妬する」という予感なのだろうか。


僕は読書をする上でも極度の人見知りで、特に相手がすごい人だとわかると、
途端に緊張してしまって、ドキドキしてしまって、
一読目はほんとうに何が書かれてるんだかほとんど記憶に残らなくて、
「すげー……」なんて沈黙に叩きのめされてしまうことがしょっちゅうだ。


だから、内容はほとんど覚えてない(笑)


「ほんとうの精神分析」は、催眠術も暗示もテストも統計学も使わない、
分析者の「耳」と被験者の「声」だけが頼りの、
1対1の仕事であって、一人前になるには、
鍛冶職人が師匠に弟子入りするみたいに長い間の修行と訓練を積んで、
相当な経験を踏まないと、そもそも無理なのだそうだ。
国家資格とかは紙の試験だけでくれるけど、それだけじゃ足りないのだそうだ。


という話をしていて、あと、


「心の闇」というのは、誰もが持ってるもので、
世間には心の闇を「心深くに持つこと」自体を悪く言う人がいるけど、
ほんとうに危ないのは、「心深くに持つこと」ではなくて、
「心」の外側に、「行為」として(言い換えれば、「犯罪」とか「病気」として)、
現れてきてしまうことのほうが、よっぽどやばい。


という話もしてた。


ただ、最後の見開き1頁は、なんというか、
「まとめに入ったな」というか、
「<続く>にするつもりだな」というか、
「ちょっと書き流しちゃってるな」というか、
そんな感じがしてつまらなかった。


とはいえそれは、冒頭とか中盤との比較でのことで、
僕などにはまだ及びもつかぬ手さばきの見事さだった。
すごかった。
いま手元に1000円ないので、買って読めないのが悔しい。また、図書館に行く。