で?っていう備忘録

再開です。

「玉葛」(源氏物語)を現代の物語に書きかえるとどうなるか

明日でテストが終わる。勉強は、ほとんどしてない。
学生の質と講義の質のどちらも低いのは、お互いが本気を出さないからだ。
提出さえしてしまえば講義レポは用済みのごみかすになってしまうので、
このブログにも転載して、多少とも利用価値を与えたい。


「現代の物語」という語を、「平成二十一年前後に『源氏物語』とほぼ同型になるよう、人物や場面の設定をある程度示威的に限定した上で語られる虚構」として考える。でなければ、『源氏物語』の物語の枠組を平成のそれに持ち込むことを考えたとき、「このような話の進み方にはならないだろうと思われる箇所」がこれだけあるから、そもそも同型の物語として形にならない。


 ・光源氏の身分からしてお互いの連絡先を知らないことがありえない。ちょっと調べれば済む話。
 ・電話の一本でも掛けないことがありえない。
 ・政府要職にある光源氏の娘の安否がわからなくなることもありえない。
 ・「上京」するくらいで気負い過ぎ。いまなら新幹線で数時間の距離。
 ・そもそも「参詣」しない。
 ・「中国にまで噂の及ぶほどご利益のある寺」という話に信頼が置かれることはない。
 ・歩いて行かない。
 ・大勢では行かない。
 ・親の安否を仏に願うことはない。
 ・準備で日が暮れることもない。
 ・寺には泊まらない。
 ・相部屋はありえない。カーテン越しに声を掛けることもありえない。
 ・宿泊客が食事の支度をすることもない。
 ・二十年振りの再会が劇的になることはない。再会して泣き合うほどの仲で消息不明はありえない。
 ・夜通し参拝することもない。
 ・「国の守(いまでいう県知事か)」が目立つ格好で庶民が大勢参詣しているなかわざわざ参詣しない。
 ・「姫君」の出世を仏に願うことはない。「政府要人に嫁がせたい」という願い方も古い。
 ・連泊しない。
 ・「参詣」慣れしていることが好いこととして語られることもない。
 ・歌のやり取りもしない。


では「源氏物語のような展開になるのはなぜ」か。

一言で言えば、それはただもう慣習からだ。『源氏物語』は紀元千年前後に物語の大部分が書かれたとされている。公開形式が、一挙刊行だったのか、定時連載だったのか、執筆期間がどれくらいに渡ったのか、そもそも誰が書いたのか、編集・校正・原案・後補に関わった助力者はいるのか、などなど、具体的に『源氏物語』がどれくらいの規模の、どれくらいの文化水準の読者層に向けて書かれていたのか判断することはとても難しいが、それでも、藤原氏が権勢を誇っていた時期に、ある程度は古典教養を持ち、和歌や日記や物語を娯楽として享受していた人たちに向けて書かれていた、とは言えるだろう。ひらたく言えば、書き手と近い嗜好や感性の人に読まれるために『源氏物語』は書かれていた。

源氏物語のような展開になるのはなぜ」か。

源氏物語』が、書き手やその周辺で流通していた文芸作品、文化、娯楽、習慣、嗜好、信仰、ものの見方の総体のなかから、ある部分が投影され、ある部分は反映され、ある部分は抑圧され、ある部分は象徴化されたり神秘化されたりすることで、書き上げられたからだ。
源氏物語』には「時代の空気」が深く染み付いているし、書き手や読み手の「次はこう書きたい・こう読みたい」という意志も強く介在している。
たとえば、「源氏物語のような展開になるのはなぜ」かという問いをもう少し個別化して、「長谷で玉蔓が右近に再会したのはなぜ」かと問えばわかる。

たまたま玉蔓が上京し、たまたま不遇で、たまたま長谷が物語の矛先として選ばれ、たまたま右近が同じ日に参詣し、たまたま同じ寺に泊まり、たまたま豊後の介を見かけたから、たまたま「長谷で玉蔓が右近に再会した」のだ。そこには普遍的な必然は何もなく、あるのはただ、玉蔓と右近を再会させようという書き手の意志と、偶発的で劇的な「再会」が物語の面白さを高めると書き手に判断させた「時代の空気」、散文が持つ文芸作品としての特性、それから、実際に「再会」を劇的に書き上げた『源氏物語』の作者の技量の発揮くらいだ。

だから、「源氏物語のような展開になるのはなぜ」かを「現代の物語」との対比から語ることにはほとんど意味がない。
論述の方向性からしてこう帰結されるのが目に見えているからだ。


「そういう時代に書かれたそういう物語だから」。


論述のバリエーションは、「そういう時代」の「そういう」と、「そういう物語」の「そういう」を列挙し続けることに尽きる。

この作業は、回答の説得力を増し続けられはするが、回答自体はいつも・いつまでも更新されない。すでに十分な量の研究論文が出揃っているし、先行研究の消化が追いついていない私が後追いするのに数ヶ月では覚束ない。だから本稿では「源氏物語のような展開になるのはなぜ」かという問いを以下のように変奏する。源氏物語のような展開にするにはどうすればいいか。(つづく)