で?っていう備忘録

再開です。

卒論題目候補

・「1909年は日本文学史に何をもたらしたのか」
太宰治大岡昇平埴谷雄高中島敦松本清張、講談社がそれぞれ活躍した「場」、時代のスケッチ。前後世代との「つながり」をgraphwizで素描。)


・「1902年が日本文学史へ与えた影響の考察」
小林秀雄(評論家)、中野重治(詩人)、横溝正史(映画作家)、三好十郎(劇作家)、久生十蘭(小説家)を主役にして、↑と同じことをする。それぞれ職業が違うので、必要なコンテクストも参考文献の量も膨大になるから、たぶん一年じゃ無理。ただ三好十郎の『恐怖の季節』はめちゃめちゃ面白い。佐藤友哉が『割と暗い絵』でしている仕事とすごく似ていてびっくりする。)


・「日本文学におけるミラン・クンデラの需要と供給」
小島信夫『寓話』、吉行淳之介砂の上の植物群』、高橋源一郎日本文学盛衰史』、舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』と『存在の耐えられない軽さ』・『不滅』との構造的類似を指摘するところから出発して、諸作がミラン・クンデラ的語りを採用した背景とその効果を探る。できれば、ボフミル・フラバルとかフランツ・カフカとかの話もしたい。)


・「大正文学の悲鳴と産声」
芥川龍之介、芳川英治、江戸川乱歩を主役にして、いま日本でなされているジャンル区分の源流を捏造した物語を語る。要は、「純文学」「時代小説」「ミステリ」「SF」「ファンタジー」の源流の捏造。)


・「どうやら独歩とプルースト同い齢(ルビ:タメ)っぽいんだけど(笑)」
(日本の明治時代の文学と、フランスの第三共和政時代の文学を見比べて、「日本、遅れてたんだね」と言う)


・「内向の世代とSF第一世代と戦後詩第二世代を同時に論じようとしてしっちゃかめっちゃかになったのを「卒論です」と言って押し通す」
井上ひさし大江健三郎谷川俊太郎寺山修司筒井康隆小林信彦をいっぺんに論じる、と書くだけでどれだけ無謀な試みかわかるだろう。無茶である。)


(思いついたので追記)


・機会があれば、『ドン・キホーテ』と『moon』を比較文学してみたい。〈騎士〉と〈勇者〉の扱われ方の比較から出発して、当時のスペイン文学界と日本ゲーム界の状況を併記し、小説とゲームの「ツール」としての差を示して、ジャンルに限定されない想像力の所在を明らかにしたら、類型作を過剰に大量に執拗に列挙して、読み手の脳内をオーバーフローさせたところでオチ。読後感も爽快になるように演出したい。


・「戦中派」・「戯作派」・「戦後派」再考もいいかも。昔はこの見立てがあったおかげで文芸業界の仕切りが上手くいってたのだと思うんだけど、これから文学史を学ぶ人たちにとっては、その仕切りはむしろ無いほうが見通しがよくなる。まぁ誰得って話だけど、国語教科書作る会社に僕が入社できて出世株になれたら話は別。